2008年04月28日

NPO設立に思う〜最終回〜

時々、覚書のように書いてきた「NPO設立」のことだが、4月にNPO法人として設立した。
先頃、昨年度の報告書も終わり、私としても、関わりに一区切り付いた。
いろいろと思うところはあるが、『私のできることは、やり尽くした』と思っている。
受け入れられなかったことも多々あるが、種を蒔くことは出来たのだと思う。
蒔いた種も、いつ芽吹くのかは知らないが、土の中でうごめいている様だ。

ただ、ひとつだけ、残念に思っていることがある。

私たち子育て世代は、今後押し寄せる教育費に対して、何らかの対策を講じる必要がある人が多く(と言うか、ほとんどの人がそうだろうと思う)、専業主婦でボランティア活動をしていても、『働く必要性』が出てきて、ボランティアを止めることは、多々ある。

これは家庭の事情なので、仕方のないことだ。
だが、私の関わってきたNPO法人は、これを『雇用する』ことで乗り切ろうとしている。
良い方法なのか悪い方法なのかと言うことではない。
ボランティアなのだから、進退は自由であるが、雇用で選別するのであれば、NPO法人の資金力は弱いので、『雇用するから』と引き止められる人、そのまま止めざるを得ない人が出てくる。
どう選別するのか。

そもそも、交通費や昼食費として支給される微々たるお金を目的に活動を始めた人でなければ、『自分が必要とされている』喜びや安心感を得ていたと思う。
それを細々とであっても繋げ続けてあげることは出来ないのかと思う。

ボランティアは組織であって、組織としての方向性はあっても、個々の求める満足は違う。
これは一般企業でも同じかもしれないが、一般企業に勤める場合は、それなりの賃金という見返りがある。
ボランティア組織が、そこに集うボランティア達を引き留める物は、個々の求める満足を満たすことが一番なのだと思っている。

それだけに、リーダーを務める者には、人を見る目が必要だし、自分たちの力量を判断する客観的な目も必要だ。
それは、受身であっては出来ないことだ。

私が関わってきた法人を思うと、この辺りがとても不安な点なのだ。
壮大な夢を持つのはいい。
壮大な理想を描くのはいい。
夢には、チャンスというものもある。
でも、自分たちの力量、大丈夫ですか??と問いたい。
今のままで、『雇用』という魅力を使って、どのくらい引き止められるのですか??と問いたい。
『雇用』という魅力は、それなりの見返りがないと成り立たないのに。
大きな仕事を請け負って、新たにボランティアを募集して・・・それで元からいるメンバーが、皆、疲労してしまうのが、一番怖い。
結局、理事会・事務局が、マニュアルに従うだけでなく、マニュアルを作るような人にならなければ、組織は衰退していくだけだと思う。

さて、私は、と言うと燃え尽きている。
『やり終えた』という気持ちと、『もうやらなくていい』という気持ち。
どちらの気持ちもあるが、どちらかというと『もうやらなくてもいい』という気持ちのほうが強い。
近所に、関わっていた団体と同じようなことをする場所が出来るらしく、ボランティアの募集なども、いずれ始まるのだろうが、やる気は全くない。
あまり、いい燃え尽き方ではないのも、重々承知しているが、これも仕方のないことだ。
もうひとつの団体のブログを書くという役目も残っているし、こっちは引継ぎすらしていないし、来年、ジンは幼稚園に入るし、きっと、やることは、まだまだあると、気持ちを切り替えている。

2007年11月12日

NPO設立に思う−4

私が自分の後継者に引継ぎをしつつ、新たに考える必要が出てきた問題。
――――――それは、法律関連だ。

NPO法人となり、法人として社会に認められるようになり、さらに法人税を支払うようになると(NPO法人の全てが払っているわけではなく、一定の条件に当てはまると法人税の支払義務が生じる。私の所属する団体は、条件に当てはまっているので、法人税の支払義務が生ずると税務署より回答を得た)、様々な法律の遵守が求められる。

人が普通に生活するうえでも、法律の遵守が求められるが、それは社会常識に照らして、普通に生活していれば、法律違反をするものではないが、法人の場合、一般生活とは異なった法人税法とか商法とか労働法とかの遵守が必要になる。
これは、専門にしていなければ、調べなければ、わからないようなことだ。

これまた、運がいいのか悪いのか、私は結婚前、法律を扱う事務職をしていたことがあり、基本的なことなら理解できる。
まぁ、『これは法律に抵触するかもしれない』とか『これは、何かの公的な決まりがあるかもしれない』くらいしか、今となっては通用しない知識だが、知っているのと知らないのでは、まったく違う。

主に抵触するのは何かというと、やはりお金の運用に関してだ。
法人税法だけでなく、それに伴う『通達』とか『省令』とかあり、NPO設立認証のための予算を立てているだけで、右を見ても左を見ても、法律に突き当たる感じだ。
もちろん、先に書いた『雇用』問題でも、労働法という壁がある。

『見えない問題を考えて解決しようと努めるよりも、手遅れかもしれないが、問題に直面して体感しながら、解決していくほうが、知らないことわからないことの解決方法として、理解しやすい。』と覚悟しても、設立前に明らかにしておかなければならない法律問題もある。

それは、所得税のことだったり、法人税のことだったり・・・
知識のある人から見れば、大したことのない話でも、知識のない人にしてみれば、チンプンカンプンな話だ。

つい昨日、話していたのは登記の話だった。
やはりこれも、設立前にきちんと定款で決められるところは決めておいたほうがいいのだが、理解してもらえたのかどうか、定かではない。

私が一番心配しているのは、『適当で大丈夫』という感覚だ。
雇用のときもそうだったが、『プラスチックゴミに、生ゴミが混じったけど、持って行ってくれるから分別しなくていいや』くらいの感覚で、NPO法人運営を考えているから危ない。
世の中には、そんな軽微なことで罰金をとられたNPO法人、事業縮小を余儀なくされたNPO法人もあるというのに、そんな話をしても、まるで他人事だ。

NPO法人は、何でも身内で納得できればOKであった任意団体とは違う。
法律で守られ、認められた団体になるためだとわかっていても、法律を遵守できない考えは、どこから起こってくるのか。
法律事務で、そこそこ染まってしまった私には、理解できない。

近々、今後起こってくる登記のことについてレクチャーしてもらいたいとの依頼を受けて、行ってくるが、さて、どこまで必要性を感じてもらえるだろうか・・・・

無意味なことをさせ、それをやらせた本人に知らしめるというのは、古今東西、罰として用いられた例だというが(例えば、穴を掘らせて、それを埋め戻させるような罰)、今、私がしていることは、これに結構近い。
『これは法律で決められていることだから、決めておいたほうがいいですよ』と言って、『じゃあ、素案を作っておいて』と返され、作った素案はどうなるかというと、『いいよ、そんな堅苦しいこと決めなくても』と無に戻される。
これの繰り返しだ。
それでも、何かがあったときに、『廃案』にされたものが役に立つと信じて、やっている。

ボランティアの事務方なんて、『鈍感力』がなければやっていられないと思う。

2007年10月17日

いつまで続く??私のボランティア

以前にも書いたが、私は今、2つのボランティア団体に所属している。
そのうちのひとつは、現在NPO法人化に向けて、奮闘している最中の団体だが、もうひとつは、年々衰退しつつも、長い期間やっているせいもあって、皆が純粋かつ高いボランティア意識を持って活動している団体でもある。

NPO法人となるほうの団体は、春に辞めることになっているが、もうひとつのほうの団体は、辞めないことになっている。
来れるときには、ジンを引き連れて、片道1時間半かけて活動に来る予定だ。

辞めてしまったり、パソコンでできる作業だけ手伝うようにしても良かったのだが、これまた、私のこだわりで、現場も続けることになってしまった。

私のこだわりとは、活動報告ブログ。
ここのリンクにも貼ってあるものだが、実は、私が書いている。
行けないときには、他のスタッフが写真を撮ってくれ、報告をしてくれるのだが、書いてみると、やはり臨場感が違う。
自分が参加したほうが、ちょっとしたことなど、わかりやすく書きやすいのだ。

こんなたわいもないこだわりで、私のボランティア活動は、まだまだ続く。
夫は、もはや何も言わない・・・・。
言ったところで、辞めないとでも思っているのだろう。

それにしても、ボランティアを止められない理由は何だろう。
2つの団体には、普通にフルタイムで働いていて、平日の休暇を利用して参加している人もいるし、週3日とか週4日とかパートで働いていて、パートの休みをボランティアの活動日にしている人もいる。

乳幼児を育児中の母親には、『社会と繋がっていたい』とか『育児ではない何かをしたい』と思って参加している人もいるが、そうではない人も多い。
『小銭を稼ぎたい』人がいるのももちろんだが、お金ではない自己満足が、ボランティア活動から足を洗えない訳なのかもしれない。

2007年09月16日

NPO設立に思う−4

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前回の記事から、個人的な引っ越しが決まったりと、大きな動きがあったため、話が少し飛んでしまうが、それは、お許しいただきたい。

前回までの記事にも書いた『有償ボランティアに対する謝金』のことだが、私が得た知識だけで判断したのではない。
NPO法人は、経理的に弱い団体が多く、無料で簡単な相談に乗ってくれる有志機関やボランティアセンターがある。
そこに、相談した上で、当団体の支払い方法では『労働者に対する給与とみなされるのが一般的』という専門家からの回答を得た上で、実費精算制か、最低賃金を満たした謝金への変更を促してきたわけだ。

ちなみに、労働者に対する給与とみなされると、源泉税がかかるし、労災保険・雇用保険・社会保険の対象になる。
まぁ、労災保険以外は、対象になるほどの金額を出しているわけではないが・・・・

いずれにしても、自分たちで判断がつきかねる問題であることは確かで、労働基準監督署と税務署に相談に行った。

労働基準監督署
『ボランティアに対する謝金の支払いに関しては、助成金・委託金を提供している団体が認めていれば、支払うことが可能であると考えられ、ボランティアである以上、労働基準監督署の関与するところではない』
要するに、ボランティアが、実質の労働者(給与所得者)であるかどうかの労働者性の判断はしない、ということだ。

そして、税務署
『ボランティアに対する謝金が、給与であるか、実費精算に基づくものであるかにかかわらず、源泉徴収が必要である場合に、きちんと源泉徴収してくれれば、税務署としては、問題ない』
こちらも、税金を収めるケースがきちんと納税されれば、労働者性の判断はしない、ということだ。
どんな名目の所得であろうが、税金を納めてくれればいいと言うようにも取れる。

これって変だよな、と私は感じる。
ボランティアに限らず、一般の会社でも、労働環境が悪いとか、最低賃金を満たしていないとか、新聞に載ったりすることもある話だ。
問題にならなければ、声をあげる人がいなければ、行政は労働者の環境改善に関与してくれないということなのだろう。

上記のような回答を得たため、結局は、『謝金は現行通り、源泉税の徴収対象となる場合には、源泉税を徴収する』という結果になった。
運営サイドには、『変わらない』ことが実践できそうで、一安心の結果だろう。
だが、綱渡りであることには、間違いない。
どこかで、誰かが声を上げれば、簡単にひっくり返る状態なのだ。
つい昨年、近隣の類似したNPO法人が、軽微な労働法違反で、一部の事業から撤退することを余儀なくされた事態を耳にしているので、不安が拭いきれないわけではない。

私が、矛を収めたのは、この夏に転勤となった夫の事情があることは否めない。
当面は、単身赴任であるが、春には、家族で赴任地に引っ越す。
もう、表立って、この団体には関われない。
なぜなら、団体の会員の条件として、『顔の見える活動にするため、いずれかの事業部、もしくは管理部に所属し、活動すること』という条件があるためだ。
事業部か管理部に所属するということは、本来の事業だけではなく、裏方的な仕事も割り振られるということで、もちろん、会議などもある。
遠隔地に居住する者が、気まぐれに参加できる活動ではない。
そのため、理事への就任要請も断った。
もう、必死になってやる必要はないと感じているわけだ。

それに、もうひとつ、感じたことがある。

『NPOになるんだ』という熱意と期待を持ったまま、水面下で問題を抱えたNPO法人になったほうが、幸せなのではないかということ。

理解しよう、調べよう思う人だけが、一生懸命になって、ひとつでも問題の少ないNPO法人を設立したとしても、『わからない、知らない』会員にとっては、それまでの経緯で意欲をなくし、不安を感じるだけで、益にはならない。
『わからない、知らない』を連発する状況は変わらないどころか、『何が起こるかわからないから、辞めてしまおう』にもなりかねない。

見えない問題を考えて解決しようと努めるよりも、手遅れかもしれないが、問題に直面して体感しながら、解決していくほうが、知らないことわからないことの解決方法として、理解しやすい。

要するに、子育てと同じだ。
育児書を読んで、これからの成長過程のどこかに不安を感じて戸惑ったとしても、実際に不安を感じた成長過程に直面すると、現象は目の前にあるから、何とか解決し、乗り越えていける。

おそらく、営利法人では、目の前の現象を解決して進むような経営では、成り立っていかない。
だが、NPO法人では成り立っていくようだ。

幸い、当団体の事務局長は、目の前の問題を解決するための方法を考え出す能力もあるし、1年先くらいなら、予測を立てて行動する能力もある。
理事長は、実現力に乏しいところがあるが、壮大な夢を語ることの出来る人で、人徳とでも言うのだろうか、その夢が少しづつ叶えられてしまうような人だ。
そして、副理事長2人は、情報収集には疎いが、思いのほか冷静な目で、状況判断をする。
うまくかみ合っているといえば、うまくかみ合っている。
こじんまりと、目の前と少し先の現象を解決して進んでいくには、何の支障もないだろう。
危機管理能力と、情報収集力に欠けるのが難点といえば難点か。

もう、今までのように必死になってやるよりも、自分の後継者を至急に育てるほうが先決であるというのに、問題は待ったなしで、次から次へと起こってくる。

2007年06月30日

NPO設立に向けて思う−3

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以前の記事に書いた『自分の余暇を有意義に使いたい』人の集まりだということは、間違いではなかったのだが、更に2種類に分けられることが、しみじみとわかった。

余暇を有意義に使うために、趣味的な報酬のない活動や行動を選ぶ人もいるし、生活のため、報酬を得る行動に出る人もいる。
そして、趣味的な報酬のない活動団体が行うメイン活動に、報酬を求める人は、まずいないし(プロは除く、プロは余暇でやっているわけではない)、報酬を得るための団体(たとえば企業)の中で無報酬活動を是とする人も、サービス残業が問題となるように、まず、いないだろう(もちろん、親睦を深めるための行動などは除く)。

だが、私の所属するボランティア団体の場合、趣味的な無報酬の活動でも良いと考えて参加する人もいるし、わずかながらの報酬を求めて参加している人もいる。
ボランティア団体なのに、報酬があるとは矛盾していると思われるかもしれないが、現在の日本のボランティア活動において、『有償ボランティア』と呼ばれる交通費・食事代などの実費精算、さらにはいくばくかの謝礼を受け取るような形のボランティアも増えている。
交通費など、ボランティア活動をする際にかかった費用を実費精算することは、現在のボランティア活動が裕福な人に限った活動ではなく、自分の生活に大きな余裕のない人でも、社会参加の一環として行う場合も増えてきているため、各自の持ち出しを減らすという観点から、割と増えていることだ。
それに加えたわずかの謝礼というのは、福祉の分野において、多いらしい。
他人に、無償で何かをしてもらうと、サービスを受ける側には「してもらっている」という卑屈な気持ちが生まれやすく、ボランティア側には「してあげている」という優越感が生まれやすいということから、『お礼』的な意味合いもこめて、いくばくかのお金をやり取りすることで、心的な問題のバランスを取るためだという。

私の所属する団体では、公設民営ということもあって、資金にわずかながらの余力があったため、当初より実費精算+謝礼程度の金額を、活動に参加したボランティアに支払ってきた。
そして、ボランティアを募集する際も、その金額を提示して、募集した。
だが、あくまでも『ボランティア活動』である。
運営サイドは、そう主張する。

実際にはどうだろう?
純粋にボランティア活動だと思っている人ばかりではないように見える。

NPO法人になっても何も変わらないと言い続けてきた運営サイド。
変わるのが、所轄庁への書類など、運営サイドだけですむ問題で終われば、不満は目に見える形で起きなかったに違いない。
だが、現在任意団体として活動していて、違法状態もしくは違法スレスレの状態を、完全なる適法状態にするためには、ボランティアたちに一番目に見え、かつ、一番不満の大きくなる金銭面の改善を要求されることになった。

要求したのは、私。
私は会計責任者であるため、NPO法人となった際には、理事への就任を要請されている。
理事は法人から職務の委託を受けているとみなされ、理事として行った法人の行為が違法であり、第3者に損害を与えれば、理事個人が法人に対して損害を賠償しなければならない。
すなわち、現状を放置し、摘発された場合、法人として罰金を支払うものの、理事がその罰金を賠償しなければならないということだ。
私とて、無報酬でやっているボランティアで(私は子供が小さいため、活動には参加できず、事務処理だけをしていることから、実費精算+謝礼は貰えない取り決めとなっている)、罰金なんぞ、払いたくはない。
私個人だけではなく、私の無茶な要求を乗り越えてくれる3人の会計部員にも、そんな負担はもちろん、不安も与えたくない。
(ちなみに、私には理事への就任要請が来ているが、3人の会計部員は理事になるわけではないので、万が一の金銭的な負担は、法的に生じない。生じるとすれば、心的な負担である)

金銭的な改善のため、私の独断ではなく、先の2つの記事で書いたように、法と制度を理解してもらうべく、努めてきた。
その結果、運営サイドは、法・制度への理解と、最低賃金を満たすためには自団体の資金が不足することへの諦めで、金銭面の改善案を考え出した。
資金不足もあって、改善された報酬案には、いくばくかの謝礼は盛り込まれておらず、ほぼ完全なる実費精算制。
それでも、今までの報酬から減額したというイメージを持たれたくないため、今まではなかった全体会議や様々な部署の会議出席に伴う交通費も、実費精算することとした。
だが、資格手当てのようなものは、ない。
要するに、今まで、活動も行い、諸問題を話し合う会議にもよく出席していたボランティアは、総じて、受け取る金額に減額は少ない。
ともすれば、会議出席の分、増えることもある。
だが、厳しい言い方だが、都合の良いパート気分で、報酬のもらえる活動のみ参加してきた者は、減額になる。
間違っても増えることはない。

この案を、ボランティア全員が出席することとなっている全体会議において発表した。
全く、意見が出なかった。
金銭的な問題は、何事においても、問題となりやすい。
運営サイドは、念には念を入れて、出席者全員から、順番に意見を求めた。
様々な言い方があったが、まとめてみると、
『運営サイドが勉強して考えたことだから、わからない自分には、意見など言えない』
もしくは『運営サイドが勉強して考えたことだから、この案でいいのだと思う』
『家庭の状況がどうなるかわからないので、続けられる保証がないから、大それた意見は言えない』
『お金が貰えるだけでも、助かるから、まぁ、いい』

運営サイドとしては、反対意見がなかったため、この案で進めていくはずだ。
だが、本音はどうなのだろう?

私の耳には、不平不満も入ってきている。
NPO法人になどならなくてもいいのではないか、という意見も聞く。
でも、それは、あくまでも、内々とか、個人的な立ち話などの意見だ。

一般的に組織において、会議の席上、あえて反対意見を唱えることをせず、少数の集まりや個人的な集まりで反対意見を唱えるのは、日本の悪しき慣習だ。
ボランティア団体は、組織であっても、上下関係はない。
皆、ボランティアなのである。
こじんまりとしたボランティア団体では、会議において意見の相違を埋めるべく、いろいろ話し合いをするところもあると聞く。

『ボランティア組織である』と説明を受けながら、受け取る金銭の多寡にいろいろ不平不満が出るのは、ボランティア側の感覚の麻痺だ。
先日のプールの話ではないが、大を小に変えるのは難しい。
だが、基本に立ち返ってみれば、『極小』もしくは『無』であるはずのものだから、『小』にしてもらいたいと言う運営サイド。

『大』であったがために、言われるがままの活動しか出来ず、『小』になることで、話が違うと密やかな不満を燃やすボランティア側。

どうして、こんなに運営サイドとボランティア側が、乖離してしまったのか?
どうして、ボランティアの皆は、運営サイドを『上』とみなしてしまっているのか?

2007年06月01日

NPO法人設立に向けて思う−2

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『知らない』『わからない』
この言葉が安易に出てきてしまう原因のひとつとして、『仲間意識』が挙げられると思う。

そもそも、ボランティアグループと言うものは、『こんなことが出来たらいいな』という思いを持った人の寄せ集めであって、会社を設立する時のように、初めから、何らかの覚悟を持って始まるものではない。

私が最初にかかわりを持った団体は、『近年の子育て事情を理解した上で、地域の中(身近なところ)で出来ることはないか』と始まったもので、公園での集団遊び・育児サロン・子育てに関する講座・母親クラブなどへの遊びの指導などを行ってきた。
最近は、スタッフの減少で、公園遊びと遊びの指導くらいしかやっていない。

そして、この団体の有志が、公設民営型の育児サロンの運営に手を挙げ、新たなスタッフも獲得し、私が関わる2つ目の団体となったわけだ。

どちらにも言えることは、『自分の余暇を有意義に使えたらいい』と思う人が集まって運営していると言うことだ。
企業とは根本的に違う。

だから、全てのことにおいて、『難しく考えなくていいよ』『簡単でいいよ』『適当でいいよ』がまかり通る。

大体において、私が最初に関わった団体の会計を引き受けたときは、とてもとても悲惨な状況だったのだ。
様々な出費があったにもかかわらず、領収書・レシートの類は一切なし。
○○年度収入××円、支出△△円と羅列されたノートがあるだけ。
年度途中から引き受けた私の手元に来たものは、前会計担当者のときに未清算だったレシートなどと、1冊のノート(それも1ページしか記載のない)、そして10万円もの金額が不足している残額。

『難しく考えなくていいよ』『簡単でいいよ』『適当でいいよ』の結果がこれだ。

私が会計を引き継いだとき、今までなかった監査という役職を作ってもらった。
それは、私自身が会計に関わる仕事をしてきたわけでもなく、相談相手になってもらえればいいという気持ちだったのだが、この悲惨な会計状況は、監査と相談し、今までの適当さのツケだと諦め、なかったことにして、再出発することにした。

なぜ、10万もの大金をなかったことにしたのか。
それは、この『仲間意識』を意識したからに他ならない。
追求しようとすれば、出来た。
でも、追求し、誰かが負担、もしくは連帯して分割負担したところで、今までどおりの活動が出来るかといったら、まず無理だ。

(団体の信用性のために書いておくが、私が会計を担当して、今年で4年度目、ごく当たり前に、ごく当たり前の会計処理をしている。誰に公表しても恥じる会計処理ではないと思っている)

グッと身近な問題に置き換えてみたらわかりやすい。
子どもを通じて友達になった数人が、誰かの家に行って遊んでいたら、子どもたちが、遊びに行った家のご主人のパソコンを壊してしまった。
物が物なので、遊びに来ていた全員で、分割して弁償した。

さて、明日から今までどおりに、家を行き来できるでしょうか?

まず、数ヶ月、下手をすれば、今後ずっと無理だろう。
もし、家の行き来が復活したとしても、呼ぶ側も招かれる側も、何かしらの注意を払いつつ・・・になることは間違いない。

同じ思いの寄せ集めであるボランティア団体も、これと似たような状態だ。
やりたいことが、そこそこうまくいっている。
そこに、面倒なこと、面倒になりそうなことを持ち込みたくない。
特にボランティアの場合、『止める自由』があるから、なおさらだ。

だから、面倒なことを言い出す人がいると、『難しく考えなくていいよ』『簡単でいいよ』『適当でいいよ』と、牽制してしまう。

今回、NPO法人化にあたって、やはり、『難しく考えなくていいよ』『簡単でいいよ』『適当でいいよ』が、顔を出した。
今までの私なら、問題のない部分(お金に関わらない部分)は『そうですか』と認めてしまっていたが、今回はそうも行かない。
代表がごねようが、担当者がごねようが、きちんとしなければいけないところは、きちんとしなければいけない。
それが、法に守られ、法に縛られる『NPO法人』になるということなのだ。

幸いにも、懇切丁寧に説明したところ、理解してくれるメンバーがいて、孤軍奮闘というわけでもなさそうだ。
だが、『わからない』『知らない』『出来ない』は、まだ変わっていない。
申請まで、まだまだ時間はある。
今後のためにも、一働きしなければ、と思う。

2007年05月28日

NPO法人設立に向けて思う

メイが1歳のとき、子育てサロンに参加者として通い始めて、すぐ運営側に携わることになった。
これも、私が、子育て専業主婦が感じると言う『社会との隔絶』に悩んだ末の結果だ。

それから、5年間の間に、さらにもう1団体、子育て関係のボランティアに関わって、現在スタッフとして活動しているのは2団体。

あとから関わりを持ったボランティア団体が、NPO法人化を目指すことになった。


(このカテゴリは、私の覚書と単なる愚痴です。お好みでない方は、読み飛ばしてください)





NPO法人と言うと、皆さんはどんなイメージをお持ちなのだろうか?


育児支援のボランティアでは、元・保育士、元・幼稚園教諭、子育て終了後の主婦が多い。
私の所属している団体もそうだ。
現役子育て中(乳児から中学生くらい)の人は、1/4くらいだろうか。

現役子育て中とはいっても、子供にかかる手が離れてくれば、パートに出る人もいるし、ボランティアばかりに精を出しているわけにも行かない。
そういうわけもあって、子育て中の会員はいても、活動の主体は40代後半〜50代の主婦ということになる。
そんなメンバーでのNPO法人設立なのだから、外から見れば、『すごいな』と思われることであっても、内部は壮絶だ。

決めなければいけないこと、一つ一つが、現象として理解できても、自分たちの身に降りかかる実感として理解できない。
○○と決めたら、自分たちがどう変わるのか、どういうことをしなければいけないのか、理解できない。
法律で使われるような難しい言葉に向き合うことが少なかったのだから、仕方のないことなのかもしれない。

こういった現状で、『調べることの出来る人』『知ろうとする人』だけが、やきもきしているのだ。

『NPOであれ、法人になったら、会社と同じような組織であって、同じ志を持った者の寄せ集めではないことを、誰も理解していない。
このままでは、理想や事業内容は良くても、組織そのものがダメになってしまう』

誰もが『NPO法人格』を取っても、何一つ変わらないと、心の底から思っている。
今の活動で、NPO法人』の冠が付くだけだと、皆が思っている。

『法人』になれば、社会的に認められる。
そして、様々な法に守られる。
でも、その代償として、規律や制度を自治していかなければならない。
(NPO法には、官庁の監督は最小限に抑えられ、市民による監視=内部自治での統制が書かれている)

今まで普通に専業主婦の生活を、何十年も送ってきた人が、ふと思い立って、法的に認められる団体の『経営者』になる。
それが、現実として起こるのが『NPO法人格取得』なのだと思う。

『起業』しようと勉強していたわけではないから、なおさら問題なのだ。
知らなければいけないことは、山ほどある。
単なるボランティアのように『現場』のことだけ悩んでいればいいわけでもない。

官庁との協働、資金不足の解消、法人格取得に伴って起きてくる提出書類の増大や書類管理の増大・・・

『学生に戻ったみたい』なんて言ってくれれば、まだマシだと思う。
提示された書類を見ることもなく、もしくは斜め読み程度で『私には理解できないことだから・・・』
そういってしまって済むものなのだろうか。
仮にも、NPO法人の理事に選出されるであろう人が・・・

NPO法人になっても、変わらず現場に立つ予定の立場の人たちが、『わかろう』として、いろいろ本を読んだり、NPO支援の団体が発行している冊子を読んだりしてくれているのに・・・と思ってしまう。

私は、今回設立しようとしているNPO法人の発起人の中で、『知らない』『わからない』『調べない』の危険性に気づいている一人でもある。

当面、私に課せられた課題は、『知らない』『わからない』『理解できない』を連発される中、少しでも知ってもらうこと。
『理解して欲しい』なんて言わない。
『知って欲しい』『心に留めて欲しい』
ただ、それだけ。

私はいつかこの土地を離れる。
離れてしまっても、私の知識が役に立てるように、残すのみだ。
幼児を抱え、睡眠時間を削り、タダ働きで・・・
それでも、このボランティアに関わる選択をしたのは自分だ。
出産・育児という大きな出来事の中で、社会と隔たり、子どもと向き合うだけの自分に、どうしようもない焦燥感と自己嫌悪を感じて、関わることを決めたのは自分だ。

もちろん、個人的な背景なのだけれど、私のようなどうしようもない焦燥感と自己嫌悪を感じる母親に、仕事復帰以外の選択肢の一つとして、生き残ってほしいボランティア活動だと思っているからこそ、この際、歯を食いしばっても、やらなければいけないことは、やるしかないと思う。

そんなわけで、学生のように、様々な専門書を読み漁る日々なのだ。
理解しながら読まなければいけないので、子どもが寝たあと、読み進める。
寝不足なんて当たり前だ。
(ジンが、夜鳴きをしているし・・・)
それでも、心底『つらい』と感じない自分がいる。