2007年06月30日

NPO設立に向けて思う−3

【このカテゴリは、私個人の覚書&愚痴です
読み飛ばしていただいてかまいません】



以前の記事に書いた『自分の余暇を有意義に使いたい』人の集まりだということは、間違いではなかったのだが、更に2種類に分けられることが、しみじみとわかった。

余暇を有意義に使うために、趣味的な報酬のない活動や行動を選ぶ人もいるし、生活のため、報酬を得る行動に出る人もいる。
そして、趣味的な報酬のない活動団体が行うメイン活動に、報酬を求める人は、まずいないし(プロは除く、プロは余暇でやっているわけではない)、報酬を得るための団体(たとえば企業)の中で無報酬活動を是とする人も、サービス残業が問題となるように、まず、いないだろう(もちろん、親睦を深めるための行動などは除く)。

だが、私の所属するボランティア団体の場合、趣味的な無報酬の活動でも良いと考えて参加する人もいるし、わずかながらの報酬を求めて参加している人もいる。
ボランティア団体なのに、報酬があるとは矛盾していると思われるかもしれないが、現在の日本のボランティア活動において、『有償ボランティア』と呼ばれる交通費・食事代などの実費精算、さらにはいくばくかの謝礼を受け取るような形のボランティアも増えている。
交通費など、ボランティア活動をする際にかかった費用を実費精算することは、現在のボランティア活動が裕福な人に限った活動ではなく、自分の生活に大きな余裕のない人でも、社会参加の一環として行う場合も増えてきているため、各自の持ち出しを減らすという観点から、割と増えていることだ。
それに加えたわずかの謝礼というのは、福祉の分野において、多いらしい。
他人に、無償で何かをしてもらうと、サービスを受ける側には「してもらっている」という卑屈な気持ちが生まれやすく、ボランティア側には「してあげている」という優越感が生まれやすいということから、『お礼』的な意味合いもこめて、いくばくかのお金をやり取りすることで、心的な問題のバランスを取るためだという。

私の所属する団体では、公設民営ということもあって、資金にわずかながらの余力があったため、当初より実費精算+謝礼程度の金額を、活動に参加したボランティアに支払ってきた。
そして、ボランティアを募集する際も、その金額を提示して、募集した。
だが、あくまでも『ボランティア活動』である。
運営サイドは、そう主張する。

実際にはどうだろう?
純粋にボランティア活動だと思っている人ばかりではないように見える。

NPO法人になっても何も変わらないと言い続けてきた運営サイド。
変わるのが、所轄庁への書類など、運営サイドだけですむ問題で終われば、不満は目に見える形で起きなかったに違いない。
だが、現在任意団体として活動していて、違法状態もしくは違法スレスレの状態を、完全なる適法状態にするためには、ボランティアたちに一番目に見え、かつ、一番不満の大きくなる金銭面の改善を要求されることになった。

要求したのは、私。
私は会計責任者であるため、NPO法人となった際には、理事への就任を要請されている。
理事は法人から職務の委託を受けているとみなされ、理事として行った法人の行為が違法であり、第3者に損害を与えれば、理事個人が法人に対して損害を賠償しなければならない。
すなわち、現状を放置し、摘発された場合、法人として罰金を支払うものの、理事がその罰金を賠償しなければならないということだ。
私とて、無報酬でやっているボランティアで(私は子供が小さいため、活動には参加できず、事務処理だけをしていることから、実費精算+謝礼は貰えない取り決めとなっている)、罰金なんぞ、払いたくはない。
私個人だけではなく、私の無茶な要求を乗り越えてくれる3人の会計部員にも、そんな負担はもちろん、不安も与えたくない。
(ちなみに、私には理事への就任要請が来ているが、3人の会計部員は理事になるわけではないので、万が一の金銭的な負担は、法的に生じない。生じるとすれば、心的な負担である)

金銭的な改善のため、私の独断ではなく、先の2つの記事で書いたように、法と制度を理解してもらうべく、努めてきた。
その結果、運営サイドは、法・制度への理解と、最低賃金を満たすためには自団体の資金が不足することへの諦めで、金銭面の改善案を考え出した。
資金不足もあって、改善された報酬案には、いくばくかの謝礼は盛り込まれておらず、ほぼ完全なる実費精算制。
それでも、今までの報酬から減額したというイメージを持たれたくないため、今まではなかった全体会議や様々な部署の会議出席に伴う交通費も、実費精算することとした。
だが、資格手当てのようなものは、ない。
要するに、今まで、活動も行い、諸問題を話し合う会議にもよく出席していたボランティアは、総じて、受け取る金額に減額は少ない。
ともすれば、会議出席の分、増えることもある。
だが、厳しい言い方だが、都合の良いパート気分で、報酬のもらえる活動のみ参加してきた者は、減額になる。
間違っても増えることはない。

この案を、ボランティア全員が出席することとなっている全体会議において発表した。
全く、意見が出なかった。
金銭的な問題は、何事においても、問題となりやすい。
運営サイドは、念には念を入れて、出席者全員から、順番に意見を求めた。
様々な言い方があったが、まとめてみると、
『運営サイドが勉強して考えたことだから、わからない自分には、意見など言えない』
もしくは『運営サイドが勉強して考えたことだから、この案でいいのだと思う』
『家庭の状況がどうなるかわからないので、続けられる保証がないから、大それた意見は言えない』
『お金が貰えるだけでも、助かるから、まぁ、いい』

運営サイドとしては、反対意見がなかったため、この案で進めていくはずだ。
だが、本音はどうなのだろう?

私の耳には、不平不満も入ってきている。
NPO法人になどならなくてもいいのではないか、という意見も聞く。
でも、それは、あくまでも、内々とか、個人的な立ち話などの意見だ。

一般的に組織において、会議の席上、あえて反対意見を唱えることをせず、少数の集まりや個人的な集まりで反対意見を唱えるのは、日本の悪しき慣習だ。
ボランティア団体は、組織であっても、上下関係はない。
皆、ボランティアなのである。
こじんまりとしたボランティア団体では、会議において意見の相違を埋めるべく、いろいろ話し合いをするところもあると聞く。

『ボランティア組織である』と説明を受けながら、受け取る金銭の多寡にいろいろ不平不満が出るのは、ボランティア側の感覚の麻痺だ。
先日のプールの話ではないが、大を小に変えるのは難しい。
だが、基本に立ち返ってみれば、『極小』もしくは『無』であるはずのものだから、『小』にしてもらいたいと言う運営サイド。

『大』であったがために、言われるがままの活動しか出来ず、『小』になることで、話が違うと密やかな不満を燃やすボランティア側。

どうして、こんなに運営サイドとボランティア側が、乖離してしまったのか?
どうして、ボランティアの皆は、運営サイドを『上』とみなしてしまっているのか?

2007年06月29日

麻痺する感覚

昨年、記事にした我が家のプール、昨年は目をつぶって使った『難』がある。
それは、底面にある水抜き栓の周辺が破れ始めていること・・・

メイとジンが、プール遊びの最中、面白がって引っ張った結果なのだ。
だが、1辺が160cmというサイズであるため、水量も半端でなく、水の重みで、それほど多く水漏れすることはないので、目をつぶって使っていた。

買い換えようかな〜〜とも思う。

そこで、プールの値段の相場というものを見てみた。
今のプールを買ったのは2年前。
まだまだ、家庭用大型プールの数は少なかった。

ところが、今は、2m超えのプールなど、ネットで見ればざらにある。
反対に、1.5m程度のプールの種類が減ったように思う。
値段も、いろいろなところで販売しているものの方が安いのは当たり前で、2m超えのプールが、1.5m程度のプールと同じもしくは安い価格で売られていたりする。

同じ値段なら、一番大きなものにしようと思うのが庶民の常。
予算内で一番大きかったのは、長辺2.6mのもの。
夫も、『これなら、休みの日に、俺も一緒に入って遊べる』と乗り気。
だが、ふと、庭のサイズが気になって測ってみると、長辺2.6mでは庭一杯になってしまう。

庭中、プールで覆い尽くされるって・・・・

やはり、いくら値段が安くとも、今のプール程度のサイズが精一杯のようだ。
選択肢は、今のものと同じものを買い換えるか、20cm程度大きいものかの2種類しかない。
買い替えを迷っている・・・

自分に利益があることは、小から大へ変わるのはうれしい。
だが、大から小へ変わるのは、損をした気分になる。
賃貸なのに、庭付きで、水遊びが出来るだけでも贅沢なことなのに、1.6mのプールが1.2mのプールに変わったら、『小さくなった』と子供でも不満に思うことだろう。
1.2m=120cmの家庭用プールなら、どこのおもちゃ屋でも家庭用プールの大きなサイズで売っている。

初めに、大きなプールを買ってしまった以上、引越しなどの大きな変化がなければ、プールを小さいものに買い換えるのは、難しい。

これは子供に限ったことではない。
大人でも、大から小に変わったら、不満に思うらしい。
それが、本当ならば、『小』どころか『無』もしくは『極小』であってもおかしくないものであったとしても・・・

自分の感覚は、利があれば、麻痺しやすいということだろうか・・・

2007年06月18日

小児の救命救急

先週、『小児に対する心肺蘇生法』の話を聞いてきた。
大人に対する救命救急は、学生のころ、講座を受けたことがあったが、小児に対するものは初めて。
AEDと小児型の人形での実践があると聞いていってきた。

●AEDとは
Automated External Defibrillatorの頭文字をとったもので、日本語訳は自動体外式除細動器です。
心室細動という不整脈が原因で心臓が止まったときに、元のように拍動を再開させるために、この器械を使って心臓に電気ショックを加えます。
裸の胸の上から電気ショックを加えるので体外式と呼びます。
自動というのは、器械が心臓の状態を自動的に診断し、電気ショックが必要と判断したら、そのことを音声で救助者に伝える仕組みになっている、という意味です。
電気ショックを実際に加えるには音声に従って最後に救助者がボタンを押す必要があり、音声ガイド付き、押しボタン式心臓救命装置ともいえます。

●どんなときに使うのか
心臓が止まったときに使います。
ですが心臓が止まっているかどうかがわからないときでも、意識がなく、呼吸もしていなければ使うべきです。
つまりAEDは治療の器械である前に診断の器械でもあります。
ただ同じ心停止でも心臓が微動もしない状況では役立ちません。
心臓が小刻みに震えた状態になる心室細動とよばれる不整脈のときのみ、それを治すことができます。
両者の違いは器械にしかわかりません。
大事なポイントは人が倒れるのを目撃したら、転んだ、気を失った、などと考えずに、心臓が止まったのかもしれない、とまず疑うことです。

AEDがそばになければ誰かに持ってきてもらいます。119番通報も忘れないでください。

日本循環器学会『AED O&A』より引用)

AEDを用いた心肺蘇生法の手順

@小児に対する救命救急においては、119番通報をする前に、心臓マッサージを30回+人工呼吸2回の心肺蘇生法を行う。
心臓の位置は、乳頭と乳頭を結んだ線の中央。
この際、胸部圧迫の強さは、肋骨がしなる程度(骨が柔らかい小児なら、しなるそうだが、大人なら折れることもある)、速さは1分間に100回。
人工呼吸は、胸が膨らむくらい空気を入れ、お腹が膨らむほど入れてはいけない。
お腹が膨らむほど入れると、胃の中のものを戻すことがある。

Aそして、119番通報、AEDの手配。
助けを呼ぶ。
誰もいなくて、近くのAEDの場所を知っていれば、取りに行く。

B気道の確保、反応の確認。

C心臓マッサージを30回+人工呼吸2回の心肺蘇生法を、専門家に引き継ぐまで、もしくは回復が診られるまで続ける。

DAEDが到着したら、使用する。
AEDの指示に従う。
電気ショックを行った後も、電極のパットを装着したまま、心肺蘇生法を続ける。


AEDは除細動装置であるが、心電図を取ることができるため、心臓が停止しているときは、装着するとのことだった。
小児用のパットがあれば、それを使用するのが良いが、ない場合、大人用のパットでも良いとのことだった。
大人用のパットが大きすぎて、指定の場所に貼り付けることが出来ない場合、心臓の真上と真裏(背中)に貼っても良いそうだ。
要するに、電流が一直線に流れれば良いということらしい。
帰ってきて調べたところ、大人用のパットは8歳以上の使用が目安で、小児に対する安全性は諸説あるようだが、ないよりはマシといった感がある。(小児用パットの使用目安は、1歳から8歳)

そして、横浜市の場合、119番通報で、心停止の場合、救急車に先行して消防車が来ることもあるそうだ。
それは、119番通報後、救急車の到着まで6分程度かかるため、AEDを搭載している消防車を先行させ、初期の処置を行うためなのだそうだ。
だから、『救急車を呼んだのに、消防車が来た』と驚かないで欲しいと、消防士が話していた。

自分の子どもが心停止した際、親は動揺する。
だが、心停止後の社会復帰率は、1分ごとにどんどん下がる。
5分停止して、社会復帰率は50%を若干切る。

救急車が来る前の救急救命が、子どもの将来を左右する。
それを肝に銘じて欲しいとのことだった。

具体的には、『声を出す』ことが、落ち着きに繋がるそうだ。
助けを求める、状況の確認をする、AEDを持ってきてもらう、心臓マッサージの数を数える・・・・
とにかく、
一つ一つ、大きな声を出して、自分に言い聞かせることが良いと言っていた。

子どもに、何かあったとき、親が動揺するのは、よくわかる。
メイが自宅で骨折したとき、夕食の準備中だった私は、一瞬硬直し、どうしてよいかわからなくなった。
目の前での出来事が、スローモーションのように見えた。
でも、メイが折れた腕を動かしたとき、『骨折した箇所を動かしてはいけない』と思い、我に返った。
妹や両親が骨折したのを目の前で見た経験が、そう思わせたのだと思う。
119番通報や夫への電話をし、話すことで、自分が落ち着き、救急車が来る前に、メイの患部を観察し、手近にあったもので固定し、救急車に乗せることが出来た
意味のある言葉を出すことは、自分の意思で体を動かすこと。
だから、落ち着きが取り戻せるのかもしれない。

話がそれたが、参加者から出た質問に、『電気ショックを与えると、体がはねたりするのですか』というのがあった。
電気ショックを与えると、筋肉が収縮するので、筋肉の発達している成人男性なら大きく跳ねることもあるが、子どもはそれほど筋肉が発達しているわけではないので、何十センチも体が飛び跳ねるようなことはないはずだそうだ。

『心臓マッサージで骨が折れることはないのですか』という質問には、成長途中の小児なら、骨が柔らかくしなるので、折れることはないと思うが、大人ならひびが入ったりすることはある。
だが、骨が折れても、あとから治るので、生きることが優先だということだ。
講座後、ジンの胸骨を押してみたが、結構固い。
これがしなるくらいマッサージをするのは、結構勇気がいる。
それでも、しなければ死んでしまうのであれば、しなければならない。

その他に、注意として
・心肺蘇生法を行うときには、固い床などで行うこと
・AEDを装着するとき、体がぬれていれば、拭くこと
・倒れている人を見つけたなどで、心肺蘇生措置を行うときには、人工呼吸を省略してもいい
・とにかく、よく観察する
などであった。

これから水遊びのシーズン。
考えたくはないが、溺れて心肺停止などということもある。
怪我などの応急処置や救急救命は、親が子どもを守るために必要な知識なのだと、痛切に感じた。
心肺停止後、救急車が来るまでの6分間で、社会復帰率は40%を切る。
心肺停止を発見してからなら、30%を切ってもおかしくない。

子どもはちょっとしたショックで心停止することもあるため、最初の心臓マッサージで機能が回復することもある。
親が心肺蘇生措置を施すことは、とても大切なことなのだと言っていた事が、とても印象に残った。
posted by 荷葉 at 04:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 防災 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月10日

梅酒作り

今年も、梅酒の仕込みをした。
昨年は、興味があったけどやらなかった『ブランデー』にも、今年は挑戦。
ブランデーで仕込む場合、長期熟成を目的とするなら、氷砂糖は少な目が良いと、ブランデーの側面に書いてあった。
だから、今年は、氷砂糖少なめで、挑戦。

去年仕込んだものも、まだ、残っている。
こちらは、飲んでしまわないよう、空き瓶に保管しなおしてある。
『ちゃんと残しておけば、もっと楽しみが増える』
と、肝に銘じて、一番目に付きにくい奥へ・・・

来年は、1年物と2年物が楽しめる・・・予定。
posted by 荷葉 at 16:45| Comment(0) | TrackBack(0) | LOHASな育児 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月03日

虫刺されの薬を作る

以前に、アロマオイルで虫刺されの薬を作ったことを書いたが、昨日、夫が『蚊に刺された』と言っていたのを聞いて、一昨年に作った虫刺されの薬を思い出した。

それは・・・『ヘビイチゴの焼酎漬け』

昔から、実家では良く使っていたので、一昨年に見つけたヘビイチゴで作ったのだが、すっかり忘れていた。
中身は、もう、ほとんどなくなっていたので、また作ろうと思う。
最近は、ヘビイチゴもあまり見かけなくなってしまったので、たくさんは作れないが・・・

作り方は簡単。
ヘビイチゴを摘んできて、瓶に入れ、焼酎を入れるだけ。
量は適当だ。
祖母が作っていたのは、確か、瓶の3割から4割程度ヘビイチゴが入っていたと記憶している。
1ヶ月ほどして、焼酎が茶色くなってくれば、使用可能だ。

私は蚊などの虫刺されにしか使ったことがないが、軽い火傷・切り傷・擦り傷などにも効くそうだ。
ちょっと調べてみたところ、3〜5年経ったほうが沁みないなどという感想もあったし、10年ものなんてものを販売しているところもあった。

ヘビイチゴには、似たようなもので『ヤブヘビイチゴ』というものもある。
ヘビイチゴは日当にある小粒のもの、ヤブヘビイチゴは湿気の多い日陰にある大粒のものと覚えておけば、間違いないだろう。
ヤブヘビイチゴには、あまり効能はないようなので、注意が必要だ。

アロマもいいけど、おばあちゃんの知恵袋的なアイテムは、子どもと一緒に摘んだり探したり出来て、外遊びにも一役買う。
ヘビイチゴをたくさん見つけたら、当分、虫刺され薬を買わなくて良くなるかもしれない。
posted by 荷葉 at 22:36| Comment(0) | TrackBack(0) | LOHASな育児 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月01日

NPO法人設立に向けて思う−2

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『知らない』『わからない』
この言葉が安易に出てきてしまう原因のひとつとして、『仲間意識』が挙げられると思う。

そもそも、ボランティアグループと言うものは、『こんなことが出来たらいいな』という思いを持った人の寄せ集めであって、会社を設立する時のように、初めから、何らかの覚悟を持って始まるものではない。

私が最初にかかわりを持った団体は、『近年の子育て事情を理解した上で、地域の中(身近なところ)で出来ることはないか』と始まったもので、公園での集団遊び・育児サロン・子育てに関する講座・母親クラブなどへの遊びの指導などを行ってきた。
最近は、スタッフの減少で、公園遊びと遊びの指導くらいしかやっていない。

そして、この団体の有志が、公設民営型の育児サロンの運営に手を挙げ、新たなスタッフも獲得し、私が関わる2つ目の団体となったわけだ。

どちらにも言えることは、『自分の余暇を有意義に使えたらいい』と思う人が集まって運営していると言うことだ。
企業とは根本的に違う。

だから、全てのことにおいて、『難しく考えなくていいよ』『簡単でいいよ』『適当でいいよ』がまかり通る。

大体において、私が最初に関わった団体の会計を引き受けたときは、とてもとても悲惨な状況だったのだ。
様々な出費があったにもかかわらず、領収書・レシートの類は一切なし。
○○年度収入××円、支出△△円と羅列されたノートがあるだけ。
年度途中から引き受けた私の手元に来たものは、前会計担当者のときに未清算だったレシートなどと、1冊のノート(それも1ページしか記載のない)、そして10万円もの金額が不足している残額。

『難しく考えなくていいよ』『簡単でいいよ』『適当でいいよ』の結果がこれだ。

私が会計を引き継いだとき、今までなかった監査という役職を作ってもらった。
それは、私自身が会計に関わる仕事をしてきたわけでもなく、相談相手になってもらえればいいという気持ちだったのだが、この悲惨な会計状況は、監査と相談し、今までの適当さのツケだと諦め、なかったことにして、再出発することにした。

なぜ、10万もの大金をなかったことにしたのか。
それは、この『仲間意識』を意識したからに他ならない。
追求しようとすれば、出来た。
でも、追求し、誰かが負担、もしくは連帯して分割負担したところで、今までどおりの活動が出来るかといったら、まず無理だ。

(団体の信用性のために書いておくが、私が会計を担当して、今年で4年度目、ごく当たり前に、ごく当たり前の会計処理をしている。誰に公表しても恥じる会計処理ではないと思っている)

グッと身近な問題に置き換えてみたらわかりやすい。
子どもを通じて友達になった数人が、誰かの家に行って遊んでいたら、子どもたちが、遊びに行った家のご主人のパソコンを壊してしまった。
物が物なので、遊びに来ていた全員で、分割して弁償した。

さて、明日から今までどおりに、家を行き来できるでしょうか?

まず、数ヶ月、下手をすれば、今後ずっと無理だろう。
もし、家の行き来が復活したとしても、呼ぶ側も招かれる側も、何かしらの注意を払いつつ・・・になることは間違いない。

同じ思いの寄せ集めであるボランティア団体も、これと似たような状態だ。
やりたいことが、そこそこうまくいっている。
そこに、面倒なこと、面倒になりそうなことを持ち込みたくない。
特にボランティアの場合、『止める自由』があるから、なおさらだ。

だから、面倒なことを言い出す人がいると、『難しく考えなくていいよ』『簡単でいいよ』『適当でいいよ』と、牽制してしまう。

今回、NPO法人化にあたって、やはり、『難しく考えなくていいよ』『簡単でいいよ』『適当でいいよ』が、顔を出した。
今までの私なら、問題のない部分(お金に関わらない部分)は『そうですか』と認めてしまっていたが、今回はそうも行かない。
代表がごねようが、担当者がごねようが、きちんとしなければいけないところは、きちんとしなければいけない。
それが、法に守られ、法に縛られる『NPO法人』になるということなのだ。

幸いにも、懇切丁寧に説明したところ、理解してくれるメンバーがいて、孤軍奮闘というわけでもなさそうだ。
だが、『わからない』『知らない』『出来ない』は、まだ変わっていない。
申請まで、まだまだ時間はある。
今後のためにも、一働きしなければ、と思う。