2006年10月31日

現実は、突然、無慈悲になる〜保存水〜

非常食、用意した方がいいと思うけれど、なかなか出来ないし、どこに売っているかもわからないという方は多いと思う。
また、非常食を大量に買い込むのも、恥ずかしいと思う方もいるだろう。

『水』だけでも、備蓄されていれば、それがよく言われる『1日1人3リットル』に満たなくとも、安心感はだいぶ違う。

現在、防災用の長期保存水は5年のものが主流で、これは普通のスーパーなどで、手軽に買えるものではない。
しかも、金額は日常用ミネラルウォーターと比べると、少々高めになってしまう。
だが、『保存水』として売っているわけではなくとも、長期保存可能なミネラルウォーターがある。

ボルヴィック(volvic)が、そうだ。

保存期間(賞味期限)は3年。
輸入品ではあるが、軟水であり、私たちが口にしている水と、大して変わりはない。
スーパーだろうが、コンビニだろうが、ディスカウントストアだろうが、全国的にどこでも入手できる。
箱買いしたって、何の不思議もないミネラルウォーターだが、日常飲料用ミネラルウォーターの中では、一番の保存期間(賞味期限)を持つ。

これならば、買い物のついでに、『ちょっと買っておこうかな』くらいの気持ちで買えるし、試しにしばらく保管して、飲んでみようなんてことも出来る。

我が家では、長期保存水の2Lものは、ネットで購入したが、非常持ち出し袋に入れる500mlは数本しか必要としなかったので、このボルヴィックを購入した。
まだ、買って2ヶ月ほどなので、3年後、どうなっているのか、楽しみだ。
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2006年10月30日

公園に行かない親子

近くの公園には、あまり子どもが遊びに来ない。
面白い遊具があるわけではないが、滑り台、ブランコ、砂場とばね式の馬型乗り物がある。
そして、とても大きな広場もあるし(先日、自治会の催しが開かれたのも、ここ)、公園の隅にはちょっとした雑木林も残されていて、夏はカブトムシが取れるらしいし、秋になればどんぐりも拾える。

メイとジンは、都合が悪くなければ、毎日行っているが、いろいろ遊びが生み出されていて、飽きないようだ。
だが、いつも遊んでいるメンバーは同じ。


引っ越してきたばかりの頃は、いつ子どもたちが集まってくるのかわからないので、日中のいろいろな時間帯に行っていたが、時々誰か来るだけで、ほとんどメイと私の二人きりだった。
午前中は、老人会のゲートボールとラウンドゴルフが毎日行なわれているので、子連れは寄り付かない。
迷惑をかけたら申し訳ないと思うからだろう。
11時30分くらいに老人会が引き上げると、それから3時くらいまでは、ちらほら来る人もいるが、昼食の時間もあるし、小さい子どもは昼寝の時間もあるので、30分程度で帰ってしまう。

だが、子どもたちがいないから、公園に遊びに来る子どもが少ないわけではない。
うちのマンションにも、メイと同じ年の子供や1つ下2つ下の子どもは、8人もいるし、隣接する新築住宅群は10軒ほどあるが、全て子どもがいる家庭だ。
もちろん、共働きの家庭もあるので、全ての子どもが公園に遊びに行かれるわけではないが、外遊びはしているのだ。


じゃあ、どこで?

マンションやアパートの駐車場、住宅街の行き止まりの道路で、そこを利用している家庭の子どもたちが遊んでいる。

こうして書いているものを見るだけでは、『昔っぽくてほのぼのしている』と思えるが、実はそうではない。
ヨチヨチ歩きの子どもならまだしも、ある程度大きくなり身体も発達してきた子どもたちは、井戸端会議に興じている親の目を盗んで、脱走し、隣家の庭先に入り込んで遊んだり、他の駐車場や道路で遊んでいる子どもを見つければ、そちらへ行ってしまう。

子どもたちにしてみれば、小さな探検で、面白いのかもしれないが、実際はどうなのだろう・・・

行き止まりの道路から出てしまえば、車の往来があるので、交通事故の危険がある。
他の駐車場や道路で遊んでいる子どものところへ行って、何かケガをしたりしても、親同士の交流がないから、詳細はわからないし、すぐに充分な手当てが受けられるわけではない。
そして、誘拐や事件に巻き込まれる危険性だってある。

親が井戸端会議に興じていれば、まだマシだ。
一人で勝手に遊んでいる2〜3歳児もいるのだ。

先日など、うちのマンションの駐車場で、3歳の子が2人、親はいなかったが遊んでいた。
ちょうど出かけるところで、それを見かけたので、『お母さんは?』と聞くと、『家にいるよ』との返事。
そこへ、以前に、我が家の庭に入り込んで遊んでいた5歳くらいの女の子(どこに住んでいるのかは詳しく知らない)が、フラッと現れて、一緒に遊び始めた。
『気をつけてね』と言って、出掛けてしまったが、あの子たちの親は家に帰ってきた子どもが『今日は知らないお姉ちゃんと遊んだよ』といったら、怖くないのだろうか?
同じ敷地や目の前の道路で遊んでいれば、見ていなくても、安心なのだろうか?


自分が見ているからと、道路や駐車場で遊ばせている人が公園に行かないわけも、私は聞いた事がある。

昼間は子どもたちがいない公園だが、幼稚園のバスが帰ってきてしばらくすると、幼稚園の子どもたちが遊びに出てくる。
学校から帰ってきた小学生も出てくる。
そのときには、我が家のように下の子がいる家庭では、下の子も連れて出てくるので、小さい子どももいる。

でも、道路や駐車場で遊ばせている人は『幼稚園生や小学生がいるから、小さい子がいると知っていても、怖くて遊ばせられない』というのだ。
交通事故と小学生、どちらが危険なのだろう・・・

こういう人たちと話していて感じるのは、『情報難民』なのだということ。
ワイドショーなどのマスコミの情報は多くても、地域の情報の疎い。
私の住んでいる辺りの小学校では、不審者が出たとか、そういった類の危険性が生じると、親に連絡網が回ってくると聞く。
だが、小学生のいない家庭で、小学生のいる家庭と交流のない家庭には、そういった情報は、全く流れてこない。
だから、小学生の親が、『不審者が出て怖いね、子どもを1人で公園にも行かせられないね』と公園で話しているのに、すぐ50m先の駐車場では、2〜3歳児が一人で遊んでいたりするのだ。

我が家には小学生はいないので、そういう情報は公園で仕入れる。
そこの道路で不審者に追い掛けられた小学生がいるとか、どこそこで不審者が良く出るので通学路まで変更になったとか、公園にくるお母さんたちはいろいろ教えてくれる。
本当に危険性のありそうな情報は、詳しく教えてくれるので、助かっている。

公園が近くにあるのに、公園に行かない人には、その人なりの理由があるのだろう。
でも、公園では、いろいろな情報が交換されている。
その情報は、マスコミに装飾された『遠い世界』の情報ではなく、近所の情報だ。
面倒でも、地域の危険性を知るために、子どもと公園遊びをするのも、悪くはない。

もちろん、子どものためにも、公園遊びは必要だ。
コンクリートで塗り固められた駐車場から、『お姉ちゃん(メイのこと)、ちょっとでいいから、土をちょうだい』と庭に声がかかるたび、そう思う。

2006年10月22日

現実は、突然無慈悲になる〜非常食試食〜

いつも遊びに行っている公園で、自治会の催しがあった。
そこで、非常食の試食が出来たので、『ラッキー』と思い、食べてみた。

試食したものは、最近よく見かけるアルファ米の五目ご飯。

アルファ化とは、でんぷんに水と熱が加わると糊化する現象のことで、米の場合『炊く』ことそのものが、これに当たる。
これを急速乾燥させたものが『アルファ米』という。
我が家の非常持ち出し袋に入っているものには『熱湯20〜30分』もしくは『水60〜70分』で食べられる状態になる、と書かれている。


試食用配布時間のかなり前から置かれていたので、どうやら水で戻したものだと思われる。
熱湯で戻すと、温かみで難点が隠れ易いのでありがたいが、食べたことがないので『水』で戻したものだろうということに、やはり不安もあった。
だが、恐る恐る口にしてみれば、普通に炊いたご飯ほど、しっとり感は少ないものの、結構美味しく食べられた。
味付けは、ほんの少し薄目のように感じたが、具もしっかり入っており、きちんと『五目ご飯を食べた』という満足感はある。
メイも、ジンも、ちょうど昼食時にあわせての配布だということもあって、バクバク食べていた。

小さな子どもがいる家庭での非常食選びでは、『子どもが食べられるか』ということが大切になってくる。
一般的に非常食としては『乾パン』があげられるが、お年寄りや子どもには、少し固すぎる。
(公的機関の備蓄では、まだまだ乾パンが主流のようなので、小さい子どものいる家庭はご注意を)

我が家の備蓄用非常食を考える時に、『ジンが食べられるか』ということが一番問題となった。
試しもせず、『普段ご飯を食べているから』と、いくつか購入したが、これで食べられることがわかって一安心だ。

この『アルファ米』、いわゆるフリーズドライなので、軽くて持ち運びの負担にもならない。
我が家の保管している商品には、五目ご飯のほかに、白飯・赤飯・きのこご飯・わかめご飯・山菜おこわ・離乳食時に嬉しい白粥もある。
1パックで、おにぎり2個分というから、成人男性でもこれ1つで、何とか1食いけるだろう。

まぁ、水がなければ食べられない、というのが難点だが、備蓄しておくには、保存期間も5年と長いし、子どもにも食べられるので、小さな子どものいる家庭向けの非常食としてはお勧めだろう。
我が家も、早速買い足そうと思う。
posted by 荷葉 at 23:30| Comment(2) | TrackBack(0) | 防災 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月18日

子宮がん検診

このところ、現実でのお付き合いを、理由をつけてパスしていた。
いろいろなことが出来る精神状態ではなかったから・・・
このブログは現実に交流のある友達も見ているので、書こうかどうか迷ったが、書いておくべきかなと思い、書く事にする。

ふとしたきっかけで受けた子宮がん検診で、『再検査』になった。
子宮がん検診は、ジンを妊娠時に受けたきりなので、かれこれ2年以上受けていない。
ジンの妊娠時は、何ともなかった検診なので、今回もそのつもりだった。
だが、もらった結果には『Va再検査』の文字。
さらに、検査をした細胞検査士や医師の所見が書いてあり、不安を煽る。

検査を受けた産婦人科から紹介されたのが『県立がんセンター』
がんセンターというだけで、充分脅威だ。

これが10/3の話である。
ブログが10日ほど、滞っていたわけは、これが原因。
多少のショックと、自分自身の身体に何かが起こりつつある不安で、とにかく自分が告げられた現状を理解したいと、この2週間、毎日毎日調べまくり、経験者の方のHPに足を運んだ。

一般的に受ける子宮がん検診は、子宮の入口部分に限定されたがんを調べる『子宮頚がん』の細胞診というものである。
この細胞診で、再検査になったからと言って、がんになるわけではない。
(もちろん、がんが見つかる可能性はある)
検査結果のVaというのは、がんの前段階の、さらに前段階くらいの軽い異常を疑う状態である。(軽度異型性という)
軽度異型性は、免疫の働きで、正常に戻ることもある。
ただし、経過観察は必要である。
子宮頚がんというものは、ヒューマン(ヒト)・パピローマ・ウィルス(=HPV)のいくつかの種類に感染して起こるがんで、私の所見ではHPVに感染していると思われる症状が、細胞に出ていると書かれていた。

そして、10/10にがんセンターで再検査を受けた。
これは子宮の入口の細胞を切り取り、詳しく検査するもので、組織診という。
組織診の時には、酢酸をかけると患部が白くなる状態を利用して、婦人科医が病状の強そうなところをいくつか狙って切り取るので『狙い組織診』ともいう。

さらに待つこと1週間、10/17、再検査の結果が出た。
先に結果を言ってしまうと、組織診でも『軽度異型性』。
がんを防ぐための治療も、予防もなく、私の免疫の働きで正常に戻ることを願いつつ経過観察を続けることしか出来ません、普通に生活してくださいと言われた。

軽度異型性が正常に戻る可能性はおよそ90%と言われたが、普通の人よりもがんに近い状態であることには変わりない。
あまり気持ちのいいものではない。
しかも、経過観察中は、新たに生命保険や医療保険に加入することは出来ない。

『軽度異型性が、何年かこのまま変わらなかった場合、どうするのですか?』と聞いたところ、『何年も続くようならば、処置を考えます』との答え。
正に、ヘビの生殺し状態。
それなら、今やってくれないかな〜〜とも思ったが、顕微鏡で見なければわからないくらいの小さな所見で、がんになるかもしれないし、むしろならないかもしれない確率の高い現状では、何もしないことが生体的に一番負担のない方法であることは、理解できるので、さすがに『今のうちに何とかして欲しい』とは言えなかった。
だからと言って、HPV感染所見があるので、楽観もしてない。
楽観していて、のちのち『がん化しました』と言われたら、ショックだろうし・・・

このことを書く気になったのは、保険の新規加入が出来ないとわかったから。
私の保険には、婦人疾患の特約もないし、がんの特約もない。
健康には自信があったので、私のことが一番後回しになっていて、夫や子どもたちの保険は考えて、新たに加入したものの、自分の分は広告を見るたびに『子どもに手がかかるうちは、私が入院することになったら、子どもの面倒を見るだけでもお金の負担が増えるし、私の分も掛けておいた方がいいかな』なんて呑気に考えていたのだ。

子宮頚がんは、近年低年齢化していると言われている。
ごく初期のがんまで保証してくれるがん保険は、年を取ってから入るものではなく、若いうちに入っておくものなんだな、というのが実感だ。
実際、がんセンターの婦人科には30代と見られる方が多くいた。

無論、がん検診は、毎年受けるべきだ。
子宮がんは、初期なら、生存率100%とも言われる。
子どものためを思うなら、毎年、子宮がん検診を受けましょう。

何でも経験したい、知りたいと思ってきたけど、さすがに『がん』だけは勘弁して欲しかったな。
まぁ、なってしまったものを嘆いても仕方ないので、今のうちに見つかってよかったと思うことにしよう・・・

2006年10月16日

バーチャルな世界

先日、ボランティアの会合に出たとき、『「ネットで知り合って、会うのが今日初めて」というグループにあってビックリした。』という話題が出た。
年配の方々には、信じられない話なのだろう。

だが、私にとっては『なぜ驚く?』といった程度の話題でしかない。
最近は、メイの幼稚園や私のボランティアなどがあるので、ネットで出会った育児サークルには全く参加していないが、メイが1〜2歳の頃は、トータルで3つ、参加していた。
メイが1〜2歳の頃だから、かれこれ、3〜4年前のことだ。

今だって、自然育児の話やシュタイナーの話をするのは、ネットで知り合った人たちばかり。
現実の世界では、身近な人で興味のある人がおらず、そういった話をすることは、まずない。

子どもの発達や、悩んでいることなど、実際を見てもらって話した方が、状況も理解してもらいやすく、自分もすんなり理解できる場合もある。
だが、育児の方向性や嗜好に関しては、私のように身近に話せる人がいるとは限らず、ネットで同じ方向を向いている人を探した方が手っ取り早いという場合もある。

要は使いようだ。
ボランティアの方々も、メールは使えるという人が多い。
だが、ネットは危険、ましてやネットで知り合った人に会うなんて危険という意識があるようだ。

だが、バーチャルなネットの世界は、バーチャルなまま、子どもたちに浸透していくだろう。
SMS(例えばミクシィ)という現実にリンクしたネット上の世界だけが主流になるわけではない。

いずれは子どもにネットに危険性、使い方を教えなければならなくなるなら、『フィルターがあるから大丈夫』『学校で教えてくれるから大丈夫』ではなくて、親自身が体験していた方が、現実味を持って教えられるはずだ。

私がネット依存症気味だから、そう思うのだろうか?
だが、犯罪にも繋がりかねない危険性を秘めているのだから、親がその危険性を知っておくべきだと思う。

2006年10月15日

薬の飲ませ方、迷走中

ジンが風邪を引いた。
いつもなら、あまり気にしないのだが、鼻水と咳が出始めて、しばらくたってから熱が出たので、小児科を受診した。

私は肺炎を心配していたのだが、耳を見た先生が『ちょっと赤くなっているから、中耳炎かな〜〜』と、抗生物質を処方。
こうして、ジンの薬飲み生活が始まった。

だが、滅多に薬を飲まないので、薬を飲めることが嬉しくてたまらなかったメイと違って、ジンは生後4ヶ月で入院し、退院後も山のような薬を飲んでいたし、よく風邪を引くので、1歳になるまでは、しばしば薬のお世話になった。
そのためか、薬が大嫌い。

最初は大目の水で溶いて、水薬状にして飲ませようとしたが、べぇーっと吐き出す。
仕方なくスポイトで口の奥に放りこんでやれば(入院時に看護士がやっていて、他の子どもも上手く飲んでいたので)、胃の中のものまで嘔吐。

こうなると、薬の袋を見ただけで、逃げ惑うようになってしまう。
アイスやヨーグルトに混ぜたり、ジャムではさむようにしたりするといいと、ネットで情報を収集したが、ジンは甘いものが得意ではない。
アイスは食べるが、1口か2口なので、何度も使える手ではない。

『おくすり飲めたね』というゼリー状のオブラートでうまく飲めたという人も多かったので、早速夫に買ってきてもらう。
・・・が、多少は飲めているように見えるものの、やはり吐き出す。

結局は、スポイトで1滴か2滴水をたらして、団子状に練り、説得するかのように言い聞かせて、口を開けさせ、上顎に塗りつける方法で、何とか飲ませた。
この方法だと、薬に含ませた水分が少ない上に、塗りつけられているので、なかなか吐き出せない様子。
薬を塗りつけたあと、水分を取らせると、うまく胃に流れ込んでしまうようで、泣きながら薬を飲んだ割には、けろっとして遊びに戻っていた。

何とか飲ませられるものの、薬の袋を見て大泣きするのは変わらないし、口を開けさせるのに、説得する時間もかなりかかる。
こればかりは、成長するのを待つしかないのか・・・

まだ、薬は少し残っている。
月曜に小児科を受診すれば、また処方されるかもしれない。
ジンに薬を飲ませる方法に、しばらく迷走しそうだ。

2006年10月02日

ジン、完全母乳への道

ジンは2人目ということもあって、『完全母乳になれば良いかな』くらいの気持ちで、メイの時のように完全母乳信仰のような気持ちはなかった。

それでも、やはり生後2ヶ月くらいまでは、寝る前のミルクをあげていた。
これは幼稚園に入園したばかりのメイが、川の字(メイとジンと私の川の字、夫は別室就寝)で寝るジンの泣き声で寝られないと、初めての環境への不安に加え、寝不足では体が持たないだろうと考えてのことだ。

だが、神経質で何かとよく泣いたメイと違って、私の体力が回復するに従って、ジンは勝手に母乳だけでも寝るようになった。
2人目なので、乳腺が開通していたということもあると思う。
そして、私もずうずうしくなっていて、添い乳に抵抗がなくなっていたこともあるだろう。

生後2ヶ月を迎える頃には、ジンのために用意したミルクは、残ったまま、使われなくなった。

だが、生後3ヶ月の終わり、メイが幼稚園で貰ってきた風邪を、ジンが貰い、肺炎にかかった。
自宅投薬では、しっかり薬を飲ませられるとは限らないので治療が長引く、点滴投薬が子どもの体力を奪わずに済むとかかりつけの小児科医に説得され、入院することに・・・
かかりつけの小児科医は、粗食推進、薬はなるべく使わずという方針なので、その医師の説得に、私も夫も納得して、ジンは入院生活をすることになった。
小児科医は完全母乳のジンのために、母乳育児に理解のある総合病院を紹介してくれた。
だが、入院となれば、ミルクは避けられない。
入院が決まった時、『これから先、混合になっても仕方がない』と思った。
メイの新生児訪問で、保険師に『混合でもいい』と言われたことで、混合への罪悪感は薄れていたと思う。

入院中、私は母乳をあげるため、メイを幼稚園に送り、その足でジンの病院へ。
お迎えに間に合う時間ギリギリまで、母乳をあげた。
担当医も看護士も、母乳育児に理解があるのか、私がいる時間はミルクを持ってくることはなかった。
そしてジンも、完全母乳で、ミルクを飲んだ期間が少なかったせいか、私のいない時間帯にミルクを飲ませようとしても、全然飲まない。
病院に着くと、看護士がいろいろと現状を教えてくれるのだが、毎日『ミルクはトータルで50mlくらいしか飲んでいません』
2回だけ、男の看護師さんがあげたとき80ml飲んだそうだ。
入院していた10日間の間に、ジンは1kgも痩せた。

入院前のジンの体重は6.5kg。
約15%の体重が減少したことになる。
体重60kgの場合の15%というと9kgにもなるので、相当なものだ。

退院したジンは、本当に痩せていた。
あばら骨がギロギロとしていた。
私は、母乳だけではジンの体力が回復しないのではないかと心配になって、ミルクをあげることにした。

こういう時、母乳は不便だと思う。
どのくらい飲んでいるかわからない。
体重が増えれば大丈夫というが、病み上がりで体重がすぐに増えるはずもない。

そして生後5ヶ月で受けた1ヶ月遅れの4ヶ月検診時に、体重が入院時の体重に戻っていて、ジンも至って元気なので、安心して完全母乳に戻した。

このミルクをあげていた期間、不思議なことに私があげるミルクだけは飲んだ。
ちょっと手が話せなくて、夫に任せても、全然飲まなかった。
ジンは、『母親があげるミルク』をわかっていたのだろうかとも思う。

2ヶ月に渡る混合生活から完全母乳に戻す時には、1週間ほど、お腹をすかせて泣いた。
だが、ちょうどメイが夏休みに入っていたので、メイにも影響がなかったし、別室就寝の夫には、もちろん影響がなかったので助かった。

ジンは今1歳半。
まだまだ、母乳が離せない。
最近は、食後に飲むことがなくなった。
泣いた後と、時々喉が渇いたときに飲む。
後追いをするようになった頃から、夜中に薄目を開いて、私の姿が見えないと泣き、飲むことで安心するようにもなった。
そんなわけで、夜中の授乳も終わっていない。

産後、難なく母乳が出て、完全母乳に出来る人はいい。
だが、混合から完全母乳に移行するには、慣れるまで家族の協力が必要だと思う。
眠りを妨げる子どもへの理解、家事まで手が回りかねる母親への理解、そして、恥ずかしながら私のように醜態をさらすことへの理解。

一番大切なのは、最後の醜態への理解なのかなと思う。
男性は、産後の女性に『女としての』魅力を感じなくなるとも聞く。
それが、胸を丸出しで寝ていたら・・・・魅力を感じないとは思わない人だって、ゲンナリすることだろうと思うのだ。

そして、この醜態への理解は、自分自身にも向けられる。
完全母乳に移行する時に、『1時間もしないうちに授乳しなければいけない』という話もよく聞く。
『毎日毎日、胸を出しっぱなしで生活しているようなものだ』という人もいる。
普通なら衣服で隠れる部分を、誰も見ていないとは言え、始終さらしていて、しかも疲れ果ててさらしたまま寝てしまうような醜態を、自分自身に許すこと。
それって、結構大事だ。

でも、ジンの入院生活を通して、母親がミルクをあげることの大切さも感じた。
何しろ、ジンは私の手からしかミルクを満足に飲まなかったのだから・・・
『私があげたミルクだけを飲むなら、混合でも良いかな』なんて、妙な満足感も感じた。

だからこそ、思う。
完全母乳を目指すのも、混合もしくは完全ミルクで育児するのも、その人の選択次第。
けれど、どの育児にも大切なのは『自分自身を許す』ことなのだと思う。
理想どおりの育児なんて出来るわけがない。
授乳期の葛藤は、その後の育児で『自分自身を許す』ことができるようになるための期間なのだと、今、思い返して見て感じる。
posted by 荷葉 at 00:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 母乳育児 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月01日

メイ、完全母乳への道

母乳育児に関しては、あまり書いてこなかったのだが、先日、15年来の友人に男の子が生まれ、メイやジンの小さい頃(今でも小さいが・・・)への回想が尽きないので、書こうと思う。

メイは生まれて2時間弱で、黄疸治療のため、保育器に入った。
その間、直に抱いたのは、私と夫だけ。
そして授乳も、1度だけ・・・

保育器に入っている間は搾乳していた。
でも、『一緒に退院できないかもしれない』と言われていたので、家にない搾乳機は使わず、手絞り。
1回で20mlもなかったように記憶している。
それでも、初乳は免疫に良いと覚えていたので、必死で搾乳していた。

保育器を出られたのは、生後5日目。
退院前日だった。
保育器に入っている間にも、1日1度くらいは新生児室内で抱っこと授乳をさせてもらったが、たった5回の授乳ではメイ自身も私も授乳に慣れるはずもない。
退院して自宅に戻ってからが、本格的な授乳の開始だった。

自宅に戻ってから、メイとべったりの生活だったが、1時間もしないうちに泣くことも多かった。
オムツも濡れていない、あやしてもダメとなれば授乳。
それこそ1日の1/3は授乳に費やしていたのではないかと思うほど、授乳していた。
でも、すぐに寝不足で、私がダウン。
辛くて辛くて、メイが起きていても、私が起きていられなくなった。

そこで、夜寝る前だけ、缶に書かれていた新生児のミルク量80mlを飲ませた。
すると、メイは夜中、ぐっすり寝てくれた。

夜、寝てくれないと、夫が気にするし、翌日の仕事に差し支えるだろうと思い、寝る前のミルクが習慣化した。
でも、私は経済的な面も考えて、完全母乳が希望だったので、缶に残るミルクの量が減れば減るほど、自己嫌悪も大きくなった。
今考えれば、『完全母乳』に囚われていたのだと思う。

ミルクの残りが少なくなる度に、『これが終わったら完全母乳にしよう』と思って買わず、でも、実際には、泣くメイを見て耐えられなくなり、仕事帰りの夫に電話して、深夜までやっている薬局でミルクを買ってもらう。
その繰りかえしだった。

このまま、混合でいくのかなと思い始めた頃、転機は突然訪れた。
生後2ヶ月近くに、保険師の新生児訪問があった。

保険師に、完全母乳にしたいこと、でも泣くと寝る前にはミルクをあげてしまうことを話すと、母乳の状態も見てくれて、『頑張れば、完全母乳に出来るくらいの母乳量はあると思う』と言ってくれた。
ただ、寝る前にミルクを与えつづけていたので、私の寝不足を覚悟することと、泣かれることに耐えることが必要だと言われた。
帰り際、『混合でもいいのよ』と言ってくれた保険師の言葉は、ジンが産まれた後、私の自己嫌悪を和らげてくれたと思う。

保健師が帰った後、私は一念発起して、ミルクを全部捨てた。
私は一度やろうと決めても、決心が翻る基があると、それに流されてしまう傾向がある。
以前には、『禁酒しよう』と決めて、お酒を全部捨てたこともあるくらいだ。

仕事から帰った夫に、完全母乳にすることと当面は夜も泣かれることを話し、気にしないで欲しいと言ったところ、『子どもが泣くのは当たり前だ』と、今まで彼が寝られないで仕事に差し支えることを心配していた私の考えが、気にしすぎであったかのような言葉を貰った。

それから、完全母乳が軌道に乗り、メイも私も夫も夜中の授乳に慣れるまで1ヶ月くらいかかっただろうか。
その間、夫は寝不足で、帰ってくるなり食事も入浴もせず、倒れるようにベットに入った日も結構あったし、たまに早く帰った夫が、夕食の材料だけ並べられたキッチンを目にして、自分で作った日も結構あったし、洗濯機に半分乾いたような洗濯物が残ってるのを目にし、干した日も結構あった。
それ以上に多く見たのは、胸を丸出しで眠る私とその横で眠るメイの姿だったと、後から笑いながら教えられた。

夫の我慢・協力とメイの我慢、私の我慢があって、メイは生後3ヶ月ころには『完全母乳です』と言えるようになった。

メイが完全母乳になるために、一番苦労したのは、夜の授乳。
泣かれて、一度起き上がって抱っこして授乳すると、私が完全に目を覚まし、寝不足になってしまう。
初めのうちは、それに耐えた。
でも、そのうち、だんだん辛くなり、結局は『添い乳』で落ち着いた。

『添い乳』だって楽ではない。
元々、川の字で寝ていたので、メイを押しつぶさないようにと気を使っていたが、それがさらに気を使うことになる。

2歳の誕生日を迎えたメイが断乳せざるを得なくなったのは、添い乳に伴い、私が気ままに寝返りを打てなくなり、もともとあった腰痛を悪化させたためだ。

私は母乳をあげない時間に張って張ってどうしようもないということもなかった。
生後3ヶ月で、完全母乳になったときには、母乳パッドがいらないくらいだった。
完全母乳になってから、自分でどのくらい出ているのか気になって、手絞りしてみても、母乳の出ている乳腺は両側共に4本程度。(うち良く出ているのは2本のみ)

他人のものと比べたことがないので、これがどれくらい出ているうちに入るのかはわからないが、何とか完全母乳になった。
きっと、新生児訪問で、あの保険師さんに出会わなかったら、メイの泣き声に負けて、混合になっていただろうなと思うと、感謝の念で一杯だ。
何しろ、あの頃の私は『ミルクをあげる』ことに罪悪感すら抱いていたのだから・・・
posted by 荷葉 at 23:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 母乳育児 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする